笠置シヅ子の死因とは?何歳で亡くなったの?

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朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン福来スズ子のモデルはブギの女王と呼ばれた笠置シヅ子さんです。波乱万丈の人生を送った笠置シヅ子さんの最後の死因や病気、晩年をご紹介します。死因や最後とは?何歳で亡くなったのでしょうか?

目次

笠置シヅ子の死因とは?何歳で亡くなったの?

朝ドラ「ブギウギ」とは?

NHK連続テレビ小説・朝ドラ「ブギウギ(ぶぎうぎ)」が、2023年10月からいよいよ始まります!

ブギの女王と呼ばれた笠置シヅ子(かさぎしづこ)さんの生涯を描いたオリジナル作品で、ヒロインの福来スズ子(ふくらいすずこ)こと「花田鈴子(はなだすずこ)」を趣里(しゅり)さんが演じます。

一体、福来スズ子のモデルの笠置シヅ子さんとはどんな人物なのでしょうか?そしてどんな生涯を送り、どんな最後を迎えたのでしょうか?

今回は朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン・福来スズ子のモデル・笠置シヅ子さんの生涯、そして最後の死因についてまでまとめてみました。

歌手をやめ、女優に転向した笠置シヅ子さん。どんな最後を迎えたのでしょうか?病気の病名とは?

死因や病気病名など、笠置シヅ子さんが女優に転向してからを中心にご紹介させていただきます!

まずは、朝ドラ「ブギウギ」についてのご紹介です。

笠置シヅ子さんをモデルにした朝ドラ「ブギウギ」!「東京ブギウギ」など、明るく元気な歌で、戦後の日本を明るくしてくれた大スターです。

原作はなく、脚本家の足立紳さんと、櫻井剛さんによるオリジナル♪

キャストは主演の趣里さんのほか、水上恒司さん、草彅剛さん、蒼井優さん、菊地凛子さん、小雪さん、水川あさみさん、柳葉敏郎さんなど、主役クラスが勢ぞろいしました(≧∇≦)

あらすじ

ヒロイン・スズ子(趣里)は香川生まれの大阪育ちで、歌と踊りが大好きな銭湯の看板娘。道頓堀の歌劇団で才能を開花させ、上京後、作曲家の羽鳥善一とタッグを組み「スウィングの女王」と呼ばれ人気歌手となる。戦時中は「敵性音楽」として歌が制限され、不幸が重なるも、戦後は恋人の死を乗り越えて娘を一人で育てながら舞台で活躍。彼女の歌声が「東京ブギウギ」を生み、戦後日本に希望と笑顔をもたらす。スズ子は「ブギの女王」と称され、大スターへと駆け上がる――。

引用元 PRTIMES

今から75年前、戦後の世の中に、人々を楽しませ、励まし、生きる活力を与えた歌手・福来スズ子(趣里)。

歌で日本中をズキズキワクワクさせた、笑いと涙の物語が始まります!

笠置シヅ子の死因とは?最後の病気病名は?

まずは、笠置シヅ子さんの病気の病名についてご紹介です。

1972年、58歳のときに乳がんが見つかりました。

しかしこの時の病気は、手術で回復されています。

ですが1980年ころから、体調を崩すようになった笠置シヅ子さん。

1985年に卵巣がんが見つかり、治療します。

なんと生涯で2つの癌にかかってしまった笠置シヅ子さん。

70歳を祝うパーティに出席しますが、その直後にまた体調を崩し、再入院しました。

そして笠置シヅ子さんの死因の病気は卵巣がんです。

何歳で亡くなったの?

娘のエイ子さん以外には、病気(卵巣がん)のことは知らず、笠置シヅ子さんは1985年3月30日にエイ子さんに看取られ、70歳でその生涯を閉じました。

最後は東京都の立正佼成会佼成病院で、息を引き取っています。

亡くなる前、病床で服部良一さんの伝記ドラマ「昭和ラプソディ」をみていた笠置シヅ子さん。

笠置シヅ子さん役で出ていた、研ナオコさんを病床で見ながら「日劇時代は楽しかったね」と言ったのが最期の言葉だったそうです。

と言うことで、1985年、70歳で死去されています。

笠置シヅ子の波乱万丈の人生とは?

トップスターになるも戦争で辛い状況に

以降では、そんな最後を迎えた笠置シヅ子さんの波乱万丈の人生についてご紹介です。

笠置シヅ子さんは本名を亀井静子さんといいます。

1914年に香川県で生まれましたが、生まれて半年後に養母となる亀井うめさんに引き取られ、大阪で暮らすことになりました。

銭湯を営む養父の亀井音吉さんも、うめさんも芸事が大好き♪自然と笠置シヅ子さんも歌や踊りが大好きな少女に育ちます。

笠置シヅ子さんが中学を卒業した13歳のころ、宝塚音楽歌劇学校を受験しますが、小柄でとても痩せていたため、過酷な宝塚の生活には耐えられないだろう、ということで不合格に(>_<)

その年、1927年に「松竹楽劇部生徒養成所」に、研究生として入団します。

松竹では「三笠静子」という芸名になり、入団してから4か月後に初舞台を!すぐにトップスターになります(≧∇≦)

1934年に「恋のステップ」で歌手デビュー♪このとき笠置シヅ子さんは20歳くらいです。

1935年に芸名を「笠置シズ子」と改名し、1937年に松竹楽劇団(SGD)にスカウトされ上京。東京で運命の出会いをします!

1938年、笠置シズ子さんの歌手としての地位を、一気にあげる出会いがありました。

そのお相手が服部良一さん!服部良一さん作曲のブギが大ヒット!

服部良一さんの厳しい指導のもと、「ブギもの」を次々とヒットさせ、笠置シヅ子さんはトップ歌手に昇りつめます(≧∇≦)

ですがこのころ戦争が激化していき、笠置シヅ子さんの歌は「敵性音楽」とみなされ、軍からマークされるように(>_<)

警察から呼び出されたり、舞台上での厳しい制約を受けたりし、ついには劇場への出演も禁止されてしまいました。

笠置シヅ子さんは、活動の場を軍需工場慰問へと切り替え「笠置シズ子とその楽団」を結成し、日本国内で慰問活動をするようになります。

「弥次喜多大陸道中」で映画初の主役を演じ、服部良一さんの勧めでコロムビア専属となります。

愛する人との出会いから出産、そして悲しい別れ

そして1943年、人生でただ一人愛した、吉本頴右さんとの出会いがありました。もともと吉本頴右さんが、笠置シヅ子さんの大ファンだったそうです。

吉本頴右さんは吉本興業の御曹司でしたが、体の弱い青年。

笠置シヅ子さんより9歳年下ということもあり、母親の吉本せいさんからは大反対されました。

終戦前の東京大空襲で家がなくなり、笠置シヅ子さんと吉本頴右さんは同棲することになります。といっても、ほかにも住人はいました。

1946年、笠置シヅ子さんは二人の子を身ごもり、せいさんの態度も軟化し始めます。

ところが!娘が誕生する10日前、吉本頴右さんは結核により他界してしまいました。

悲しみを乗り越え「東京ブギウギ」が誕生

失意の笠置シヅ子さんでしたが、娘を食べさせるため、服部良一さんに頼み再起となる曲を依頼します。

こうして出来上がったのが「東京ブギウギ」♪この曲は笠置シヅ子さんご本人だけでなく、戦後の暗い世の中の人々の心も明るくしました(≧∇≦)

その後も服部良一さんとタッグを組み、「買物ブギ―」「大阪ブギウギ」など、次々とヒット曲を連発!

こうして笠置シヅ子さんは「ブギの女王」と呼ばれるようになり、トップスターの地位を得ました。

ハワイやアメリカなどでも公演をおこなう忙しい日々。乳飲み子を抱え頑張る姿は、多くの女性たちの心も掴みます。

ですが美空ひばりさんや江利チエミさんなど、時代は次の世代へと流れていき、笠置シヅ子さんのヒット曲が減っていきました。

笠置シヅ子の晩年とは?

歌手廃業

以降では、スター歌手として活躍された笠置シヅ子さんの晩年をご紹介します。

笠置シヅ子さんさが歌手引退を宣言されたのは1957年、43歳のころです。

「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」

という理由でした。体が太りかけたことで、以前のような歌声や踊りが披露できなくなった、と思ったそうです。

廃業宣言したあとは、鼻歌さえも聞いたことがない、と娘のエイ子さんは語っておられました。

なんとストイックな笠置シヅ子さん!

歌った公式記録は、1960年の服部良一さんの銀婚式のコンサートに、ゲスト出演されたときが最後です。

1953年からテレビの本放送が始まり、新しいスターたちが登場し始め、ブギの人気も収束を迎えました。

笠置シヅ子から笠置シズ子へ

歌手から女優に転向し、芸名もシヅ子からシズ子へと変えます。

直接自分で売り込み、多くのドラマや映画などにご出演されました。

今までのスター笠置シヅ子のギャラでは使ってもらえないので、自らギャラのランクを下げるよう頼んでいたといいます。

笠置シヅ子さんは得意の大阪弁と、コミカルな演技で庶民から、お母さん役として親しまれました。

出演作品

笠置シヅ子さんはたくさんの映画やドラマにご出演されました。

みなさん「水戸黄門」はご存じだと思いますが、なんと笠置シヅ子さんは「水戸黄門」第1部、第3部、第4部にご出演!

第1部の放送は1969年です。

初代の校門様は東野英治郎さん、助さんは杉良太郎さん、格さんは横内正さんが演じられました。みなさんご存じないですよね(;^^)

ほかには「ザ・ガードマン」「意地悪ばあさん」などなど。佐藤慶一さんが財前五郎を演じた「白い巨塔」にも、財前家の家政婦役でご出演されています。

映画では、世界のクロサワこと黒澤明監督の「酔いどれ天使」にもご出演!

三船敏郎さん演じるヤクザが通う、ホールの歌手として登場♪黒澤明監督が作詞した「ジャングル・ブギー」を一曲歌い切り、大きなインパクトを残しました。

女優以外

笠置シヅ子さんはタレントとしてもご活躍されています。

当時の人気番組「家族そろって歌合戦」には審査員役で♪

落選した家族を励ます言葉が優しく、視聴者を感動させました。

ラジオCMには木村製薬所「強力殺虫剤 アース」にご出演。

そして最も有名なのが、カネヨ石鹸「カネヨン」のテレビCMではないでしょうか(≧∇≦)

こうして笠置シヅ子さんは、日本のお母さんのパイオニアとなります。

67歳のころの1981年、笠置シヅ子さんが何度も舞台に立った、日本劇場が閉鎖されることになりました。

閉館記念公演に、李香蘭こと山口叔子さんや、長谷川一夫さんらとともにご出演されています。

 

まとめ

笠置シヅ子さんの死因となった病気病名は、卵巣がんでした。1985年、笠置シヅ子さんは娘のエイ子さんに看取られ、70歳で永眠。

中学を卒業してから、ずっと芸能界で生き抜いた笠置シヅ子さん。

戦後の暗い世の中を、明るく元気にした「ブギの女王」として大活躍されました。

そんな笠置シヅ子さんをモデルにした、新朝ドラ「ブギウギ」!毎朝元気がもらえそうな作品です。

放送は2023年10月2日(月)から!どうぞお楽しみに!

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